複合表現
複合表現について
ここでは、複合芸術表現について書かれた簡単なエッセイを紹介させていただきます。
実行委員会の委員でもある寺井氏が、広島でのコンサート・展覧会のために書かれたものです。
もう随分前の話になるけれど、、、
デッサンから始め、それを何らかのロジックで音楽に変換した。上演はコンサートホールであったが、客席の四隅に陣取った4人のチェリストの演奏をアンプリファイし、何度も四日市の工場地帯に通って撮影したスライド写真を2台のスライド・プロジェクターで投影し、デッサンのモデルをお願いした人にも、パフォーマーとしてステージに上がって貰った。
今でこそ、こうした手法の作品に、「複合芸術表現」と言う言葉を使うので、先進的な表現のようにも感じるが、作品を制作したのは学生時代だったから、「複合芸術表現」は、決して新しい表現と言う訳では無い。
当時は、電子音響を使いたくても、映像が使いたくても、機械を使いたくても、このような表現手法を具現化出来る手段、つまり、テクノロジーが追い付いていなかった。
今、手元には、デジタルビデオカメラ、オーディオ・インターフェイス、アクチュエータ、照明器具、等々、そして、パソコンとプログラミングツールがある。様々なテクノロジーの産物は、表現を更に自由な領域に開放し、ようやく、「複合芸術表現って楽しいよ」、と思えるし、仲間にも言える時代がやって来たのだ。
科学と芸術、文学と音楽、視覚と聴覚、ロボットと人、生演奏と電子音響、等々、様々な複数の領域を融合した複合表現作品が、盛んに制作されるようになった。
金沢にある21世紀美術館で開かれた、カナダのカーディフとミラーの展覧会を観た。「小さな部屋のためのオペラ」は、ホワイトキューブに設置された展示空間で繰り広げられる、ドラマともオペラとも言えるような作品だ。
小さな部屋の棚には、沢山のレコード盤が並んでいて、住人は、レコード・プレーヤーから流れるオペラを楽しんでいる。至極の時間なのだ、、、、、が、、、突如、、、、、会場が揺れるような大音響で、長大な列車が頭上を通る、、、、、
そう、その空間が、ガード下にある事実を、思いっ切り気付かされてしまうのだ。
非情に切ない、空虚な感情に見舞われてしまう作品で、特に、音楽系の我々には衝撃的な作品だ。
緻密に作られた小さな部屋、自動で動くプレーヤー、灯り、音楽、マルチ・チャンネル音響、そしてドラマチックな文学的表現、これこそが、「複合芸術表現」のお手本と言えるのかも知れない。
彼らの作品は、どの作品も、こうした複数の領域を融合させた手法によって創られている。
彼ら自身も、ハイブリッド・アートと呼んでいるし、アルス・エレクトロニカでは、テクノロジーが介在しているものを、ハイブリッド・アートと呼んでいる。単純に日本語に訳せば、「交配表現」、「雑種表現」、「混成表現」、、、うーん、、、はてさて、
やはり、国立国語研究所も言ってるように、「複合」が妥当かも知れない、
「複合芸術表現」
止められない禁断の表現手法なのだ。